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ICO(Initial Coin Offering)の歴史。過去のブームを振り返る。

作成者: 東京トークン編集部|2022/07/14

本記事では一世を風靡したICO(Initial Coin Offering)の歴史について考察します。第1次ICOブームから第3次ICOブームまでの流れに加えて、どのような経緯でSTO(Security Token Offering)やIEO(Initial Exchange Offering)が生まれたのか、理由について詳しく書きます。歴史は繰り返すと言いますが、ICOの歴史を振り返ることでさまざまな洞察を得ることができるでしょう。

2013年7月、世界初のICOが実施される

ICOとはInitial Coin Offeringの略称で、プロジェクトが独自に発行したトークンを投資家に配布することで資金を調達する方法です。世界で初めて実施されたICOは、2013年7月にJ.R.Willetが率いるMastercoin(現Omni)というプロジェクトが行いました。同プロジェクトでは、ビットコインの投資額に応じてコインの配布を行うことで資金調達をしました。

ICOはどのような背景により生まれたのでしょうか? ICOは国境を問わず誰もが少額から自身の好きなプロジェクトに直接、投資をする機会です。これは従来の投資の枠組みからは考えられないことでした。しかし誕生当初はICOは非常にニッチな存在であり、Mastercoinに続いたMaidsafeやNXTなどのプロジェクトによるICOに参加するのは、初期のビットコイン関係者などコアな層に限られていました。

Ethereumが当時約16億円相当の資金調達に成功する

ICOは2014年に入り次第に数を増やし始めますが、まだまだ盛り上がりに欠けていました。そんな中、登場したのがEthereum(イーサリアム)です。2014年7月のEthereumのICOでは約31,500BTC(当時約16億円)の資金が調達され世間の注目を集めました。Ethereumを考案したのは当時19歳のロシア人Vitalik Buterin氏です。

どうしてEthereumはこのような巨額の資金を調達できたのでしょうか? それにはビットコイン誕生後の暗号資産の世界の趨勢を紐解く必要があります。

2009年にビットコインが生まれた後に登場したアルトコインは、ビットコインをコピーしてパラメーターを改良しただけのものが中心でした。代表的なのは、2011年10月に元Google社員であるCharlie Lee氏により生まれたLitecoin(ライトコイン)。Litecoinは、ビットコインのシステムをそのまま引き継ぎ、発行枚数やブロックタイムを改良しましたが、コンセプトとしてはビットコインの延長線上にありました。

次に登場するアルトコイン2.0と呼ばれる世代のコインはNEMやBitshares、Dashなどです。例えばDashではビットコインの匿名性を強化して、完全な匿名性を実現するため設計されました。これらのコインはビットコインのコンセプトを拡張したものです。

このように、ビットコイン誕生後もさまざまな新しい機能をもつ暗号資産が生まれましたが、ユーザーがプロジェクトの提供する機能を利用するという点では共通しています。しかしEthereumは独自の機能を提供してユーザーに使わせるのではなく、ユーザーが新しい機能を実装するための開発環境を提供したのです。これがEthereumがワールド・コンピューターと呼ばれる理由です。これにより、暗号資産の世界が持つ可能性は一気に広がりました。

本格的なICOプラットフォームkonifyの登場

EthereumによるICOの成功は、第1次ICOブームをもたらしました。StorjやSwarmをはじめとする多くのプロジェクトがブームに乗じて資金を調達しました。2014年後半にはICOプラットフォームであるKonifyが誕生します。KonifyはマイルストーンベースのICO手法の導入を提唱し、第1弾ICOとしてGetgemsを紹介、大きな盛り上がりを見せました。マイルストーンベースのICO手法とは、マルチシグを利用することで開発者が段階的にしか資金にアクセスできなくなる方法のことです。しかし2015年にKonifyは第2弾プロジェクトとしてFactomをリリースしましたが、調達額は当時約1億円と予想を下回り、直後Konifyは廃業しました。こうして第1次ICOブームは終焉を迎えます。

第2次ICOブームの到来

第1次ICOブームの後はしばらく市場は冷え込んでいましたが、2015年7月にEthereumのメインネットがローンチすると、Ethereum上のサービスとしてAugurが約5億円の資金調達に成功。2016年には、Ethereum上のDApps(分散型アプリケーション)が注目されて、LiskやDigix、Wavesなどが数億円規模の資金調達を実現し、第2次ICOブームが到来します。

第1次ICOブームでは、暗号資産に詳しいコアな層が参加者として目立っていましたが、第2次ICOブームでは暗号資産に詳しくないライトな層の参加が多く、プロジェクトの内容をよく知らないまま投資をする人々も現れ始めました。そんなときに起きた事件がThe DAO事件です。

歴史的被害を記録したThe DAO事件とは

2016年5月、The DAOというプロジェクトのICOが11,000以上の投資家から28日間で約150億円の資金を調達して、大きな話題となりました。ところが、DAO(自律分散型組織)の概念のユースケースとして始まったThe DAOは、同年6月にスマートコントラクトの脆弱性を突かれて、調達金額の3分の1以上である約65億円を失い世間に衝撃を与えました。

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結果的に、Vitalik氏を中心とするEthereum Foundationはハードフォークを行い事件を無かったことにしました。しかし分散型プロトコルであるEthereumがユースケースのひとつにすぎないThe DAOを例外的に救う措置は中央集権的な介入であるとして、多くの市場関係者を失望させます。このThe DAO事件をきっかけに第2次ICOブームは収束しました。

空前絶後のICOバブルと各国の規制

The DAO事件により、ICOは完全に下火になると多くの人が予想しましたが、2016年末からSingular DTVやGolemなどのプロジェクトが数億円を超える資金調達を実施。2017年春には、第3次ICOブームと呼ぶべきバブルが訪れます。同年6月、Bancorが開始わずか数時間で約174億円の資金調達に成功。年末までに100億円規模の資金調達を成功させるプロジェクトが次々と登場します。

第3次ICOブームでは、ホワイトペーパーがまともに存在しないようなプロジェクトも数億円の資金調達を実現。詐欺のような悪質なプロジェクトも大量に生まれて、ICOの9割はスキャムと言われるほど、市場は過熱しました。各国の規制当局は、投資家保護のため次々とICOを規制。同年7月には米国が認可を受けないICOを処罰の対象に、同年9月には中国がICOを禁止、同年10月には韓国がICOを禁止しました。

2018年に入りパブリックセール(公募)ではなくプライベートセール(私募)のICOは巨額の資金を集めますが、次第にブームは去っていきSTO(Security Token Offering)やIEO(Initial Exchange Offering)のように姿を変えていきます。

ICOの歴史を振り返って

Web3の世界ではさまざまな領域の民主化がひとつの大きなテーマです。ICOに関しては、「資金調達の民主化」が当時の理念でした。しかし詐欺のようなプロジェクトが横行した結果、ICOの実施は難しくなり現実的な落とし所として、STOやIEOが誕生します。本サイトでは、STOやIEOについても情報を提供していく予定です。

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